スノーボーダーの小松吾郎です。

勝手ながら、このたび復興支援プロジェクト"Donate for change" を始めさせて頂く事になりました。

この災害を前に、私たち個人が1人で出来る事はほんのわずかですが、そのわずかが集まれば1つの力になると思います。そしてその(小さな)力もいま日本には必要だと感じます。少しでも元気を届けられればと思います。


"Donate for change" は、募金という形でお金を集めさせて頂き、被災地の方で必要とされる下着などを購入して届ける。というとてもシンプルなプロジェクトです。

配達は自分や仲間が被災地にボランティアに行くタイミングで行っていきます。届け先は、基本的に自分や友人スノーボーダー、スケーター、サーファー、アーティスト、ミュージシャンらの持つ横の繋がりがある場所を中心に数カ所を回る予定でいます。


自分は行政でも企業でもなにかの団体でもありません。「何か出来ないか。」と考え行動している1人の人間です。このブログなどを通して、出来る限り情報を開き透明性を持てるよう努めていきますが、ただ信頼して頂くしかない部分もあるかもしれません。

当たり前かもしれませんが、これは自分という人間を信用して頂けるという方、このプロジェクトに「賛同出来る。」と思って頂ける方に向けられています。

学びながらですが、必ず役に立てるようがんばります。

ご賛同頂ければご協力お願いします。


ありがとうございます。

Donate for change

小松吾郎

2012年3月12日月曜日

活動リポートとお詫び

みなさんこんにちは。
長い間活動もブログの更新もせず、
ここまで来てしまったことを心からお詫びいたします。
活動のことも個人的なことも、本当に余裕が無くなっていました。
みなさんの大切な気持ち、大切なお金を預かっているのに
本当に、申し訳ありません。
この文も実は年末に書いていたのに、最後まで書くことが出来ず、やらなきゃと思いながら忙しさに身を任せ、結局今日3月11日になってしまいました。
申し訳ありません。
集めたお金を返すと言う方法もあったかもしれませんが、なんとかそれだけでも被災地の役に立てたいと思い、去年の12月に現地に行ってそのお金の行き先を決め、渡してきました。みなさん本当にすいません。これからは身の丈にあった個人的な活動で日本に、日本人にエネルギーを送っていきたいと思います。
今でも自分に出来ることは、小さくても少しはあると思えてはいます。
しかし、みんなを代表して何か、とかは正直、今のところ出来ると言えません。
なので、本当に勝手で本当に申し訳ありませんが、このプロジェクトはこのリポートを書き終えた時点で一端終了させて頂くことにします。
協力してくれたみなさん、本当にありがとうございました。結局逆にご迷惑/ご心配をかけしてしまったこと、深くお詫び申し上げます。

実は去年の夏頃、自分がディレクションしている会社が無くなるかどうかの瀬戸際に居ました。それをなんとか真逃れると言う事が12月に決まり、少し余裕がもてる様になり、ようやく動くことが出来る様になりました。しかし、いざ動くとなっても、遠ざかってしまったため、状況もニーズもぼんやりとしか分からず、いつ、どこで、なにをするか決めかね、結局考えていても分からないので、前回春に出会った人々、向こうにいる友人、お世話になった人達に会いに行って、現地の状況を聞き見に行くことにしました。
遅くなりましたが、12月の被災地支援トリップ・レポートをよんで下さい。

12月17日
糸魚川を抜けて新潟から郡山そして仙台を目指しました。
大町はまだ雪がほとんどなかったけど、白馬、小谷に入ると2、30㌢の積雪がありました。糸魚川も小谷と変わらずにふっていて、日本海側はずっと雪がありました。ここ数年の傾向として、低い雲が山を越えられず海沿いの街に大量の雪を降らせています。今年もすでにその傾向は出ていることがその時すでに伺えました。
吹雪の中走り続け、新潟市から磐越道で東に向かいました。そこから山に向かってさらに雪が強くなったのと、すでに午前1時だったので、阿賀野川SA でその日は寝ました。

12月18日
天気は落ち着いていて、最初はかなりの雪道だったけど、東に進むほど雪は減り、途中からすっかりなくなりました。仙台市は信じられないくらいキレイになっていて、瓦礫は片付けられ、街にはイルミネーションの明かりがともり、人々はかなり落ち着いた様子でした。
仙台で車関係の仕事をしている友人も、被災車の最後の一台のピックアップが終わってやっと落ち着いた所で、一日つき合ってくれました。震災後に出来たという被災した漁港女川エリアの出張直売所(?)や、地元アーティストによる個展など、仙台市の今を見ながら、震災当時の話を色々聞きました。落ち着いたとはいえ、爪痕は色んな所に色んなカタチで残っていると感じました。だけどみんな本当に強く、負けずに前を向いていて、街全体に大きなパワーを感じました。

12月19日
朝起きて、4月に片づけのボランティアで行った石巻市に向かいました。
4月の時点で、実はボクは勝手にかなり途方に暮れました。
十人がかりで、一軒の家の裏庭掃除に丸二日がかかり、街全体がそれと同じような状態で、
これが全部片付くのはいつになるんだろう?と思いました。
しかし、それから数ヶ月がたった石巻市を見て、自分の弱さと人間の強さを見せつけられました。街は本当に見違えるほどキレイに片付いていました。町中にあった瓦礫は数カ所に山の様に集められ、多くの商店や会社なども営業を再開し、新しく開いたお店も並び、街は活気づいていました。市役所で聞いた所、避難所で生活していたほとんどの方も、仮設住宅や、賃貸住宅などに入ったとのことでした。また新しい環境、新しい顔、新しい生活に馴染むのは簡単なことじゃないとも思いますが、少しでも自分の時間を取り戻し、心休まる場所になっていることを心から願いました。
その日の明るいうちは4月に訪れた避難所の方が集まる公民館的な(児童館でもある)場所や、ボランティアをまとめたり3月から地元の人達と共に活動を続けるチーム神戸さんの事務所などに、長野からお土産として持っていったリンゴ10箱を届けました。(リンゴはリンゴ農家をやっている仲間から格安で譲ってもらったもので、この募金のお金で買わせて頂きました。)そしてその内の一箱はボクが今回どうしても会いたかった、4月に片づけを手伝わせて頂いた遠藤さんのお宅に届けることも出来ました。遠藤さん夫妻は避難所を出たあと、その事務所からほど近い比較的被害の少なかったアパートに移り住んでいました。自宅やそのご近所エリアは、あれからかなりきれいになったようですが、区画整備で住んではいけない場所になったと話してくれました。「せっかく片付けてもらったのにな。」と言っていましたが、同時に「片付いたおかげであの日からずっと前向きになった」と言ってくれて、ボクらも少しは役に立てたのかと思いました。
2時間ほど談笑した後、遠藤さん夫妻に別れを告げ、もう一度チーム神戸さんの事務所にいって、このプロジェクトで集めたお金を役に立たせる良い方法が無いか、代表の金田マスミさんに相談しました。
「もちろんお金の使い道はいくらでもある。」と、色々と例を挙げてくれて、その中からしっくりくるものを選んでほしいと言われました。
ボクは全国からこの地に(週に一回か二回)訪れる炊出し隊がご飯を出す時に集まる場所が、屋根も無く、雨等が降るとぐちゃぐちゃの泥の中で立ち食いの状態だと聞いて、炊き出し所の雨風を凌ぐ為のテント代、足場の床板代わりにパレットとコンパネ代、テーブル代として使ってもらうことにしました。
その後、色々な話を聞きながら軽い雑用を手伝ったあと、ご飯を頂いて帰路につきました。

あの日からすでに1年が経ち、日本はまだまだどうにもなっていない部分が沢山あります。自分の様に、やりたいことと、やらなくてはいけないことの狭間でどうにも動けなかった人も居ると思います。原発事故はまだまだ収束にはほど遠く、被災地が本当の意味で落ち着くのはまだまだ先です。しかし、訪れた二つの街は、そこに住む人々は、ものすごいパワーで力強く前へ向かっていました。すでに落ち着きをほぼ取り戻している被災地から遠い私たちにも、まだきっと出来ることはあるはずです。自分はまだまだですが、自分に出来ることをこれからも精一杯やっていきたいと思います。がんばります。みなさんもがんばって下さい。みんなでがんばりましょう。明るい未来を作りましょう。

最後に、このプロジェクト、Donate for change に賛同してくれたみなさん。本当にありがとうございました。そして言葉通りに動けなかったことを、深くお詫びいたします。申し訳ありませんでした。ご意見、お叱りは心から受け止めたいと思います。
ここから、自分としては個人的に活動を続けることと、謝罪することぐらいしか出来ませんが、何かあればご遠慮なくどこかであった時、または、このブログのコメント欄に書き込んで下さい。

文中に書いた通り、勝手ながらこのプロジェクトはここで一端終了とさせて頂きます。
みなさん本当に、どうもありがとうございました。

2012年3月11日
Donate for change 小松吾郎

2011年5月28日土曜日

次回の支援活動に向けて。

更新だいぶ遅くなって申し訳ありません。冬シーズンの間にため込んだ色々な作業に追われていました。

Donate for change は次の活動にむけて情報を集めています。
持っていきたいのは人の心に届くなにか、避難所生活が少しでも快適になるなにかと考えていますが、状況も変わり、やった方が良いと思えることは無限にあり、すこし迷っていました。
前回感じたのは、なにより人手が必要だと言うことでした。
今回の爪痕はあまりに大きく沢山の人の力が絶対に必要です。
被災地を助けないといけない。あの状況をまずなんとかしよう。

しかし遠方から一民間人として現地に行くにはお金もかかり、色々とハードルがあります。
そんな時知り合いから、市役所で高速道路の券などを援助してもらえる可能性がある。と聞いて、二度ほどかけ合ってきました。緊急車両を出していた警察からの情報で、市役所の防災課と言う所にいったのですが、「長野県では現地からの要請が無いと発行出来ない。」との事でした。
つまり、現地の市役所から要請書を送ってもらうというステップが必要なのですが、被災地への支援活動の為に現地の手を煩わすのは、自分としては結構気が引けます。というのも、前回現地に必要な物は何かの電話を入れた時、被災地の職員の方達の疲れた声に驚いたからです。その時は2人と話したんですが、2人とも(またこれか。的な電話であったとも思われますが)「大丈夫?」って思わず言っちゃいそうなほど、疲れた声でした。

とはいえ、市役所側が「制度を悪用されたら困る」のもわかるので、ダレでもオッケー的だとダメなんだろうとも思いました。
「うーん。なんとかならないのかな???」
実はこの情報を教えてくれた人は栃木県の方で、そちらでは簡単に出たということ。情報では、静岡県も◯。「県によって違うのか。。」
でも「他で可能なら長野も出来るんじゃないですか?」と役所の方に言ってもダメです。『自分には権限がありません。』「…ですよね。」で終わります。
とりあえず、例の、現地に要請書を求める為の紙をもらってひとまず退散しました。

ところが数日後、同じ地域からボランティアに行った別のグループに話を聞くと、市役所じゃなくて合同庁舎の方で聞いたらすぐ出してくれたとのこと。
「????そうなの?」
県によってじゃないんだ。っていうかその権限を持ってる所は何カ所かあるんだ。
と言うことで2日前こんどは合同庁舎の方に行くと、本当にしっかり話を聞いてもらえました。そしてこんどはだいぶ良い所まで話が出来て、高速道路券はゲット出来る様になり、
しかも、ついでにもうちょっと踏み込んでみると、大人数になって車が増えてもその分出してもらえるということになりました。これで現地に人手を送れます。
ということで次回は人も集めて、ボランティア隊として行けるようにプランを練っています。
Donate for change としての活動も含め色々と 詳細が決まり次第アップします。
とりあえず今日はここで。

ありがとうございます。
小松吾郎

2011年5月8日日曜日

@7th of May.

ちょっとの間家をはなれてました。
更新遅くなって申し訳ありません。
あの山この山でイベントなどに参加し、スノーボーダーとして忙しいゴールデンウィークを送っていました。


4月23日〜本日までのサポーターのみなさん
イワトさん
サルワタリさん
ジーザスさん
アツシさん
AREth  番長さん
ヒラヌマさん
ミワちゃん
キハラさん
そして奥只見スキー場でのイベント(5/3〜5日)ブースにて募金して頂いたみなさん。


みなさん、ご協力本当にありがとうございます。
信用して頂いて応援してもらえる事は、本当にありがたいです。


お陰さまで前回の残高に足して ¥256,502 になっています。
みんなのサポート、必ず被災者のみなさんに届けます。

次回の活動ですが、出来れば大人数で行きたいと計画しています。
今月中にいける様に話を進めていますが、まだ決定していません。
その時の Donate for change としての支援の形(募金の使い道)も決まり次第掲載します。

ありがとうございます。

p.s. 浜岡原発停止うれしい。 →廃炉に出来るぐらい進歩したいですね。

Donate for change
小松吾郎


2011年5月2日月曜日

石巻復興支援トリップ/費用詳細

左から高速道路利用料金、燃料代1、水タンク&ゴミ袋代(帰りに空の車にゴミを積むため)、燃料代2

支援物資代、燃料代3

高速道路利用料金
:¥  6,400(往路)
:¥  6,800(復路)
燃料代     
:¥ 10,000
:¥  3,858
:¥  7,700
支援物資代   
:¥  7,150(水タンク&ゴミ袋)
:¥173,739(食料品&雑貨類)
_____________________________
:¥215,647




出発時の募金総額:¥229,000
使用金額    :¥215,647
銀行使用手数料 :¥    105
_____________________________
残高(出発時) :¥ 13,248

2011年5月1日日曜日

First trip report/石巻復興支援トリップ リポート

みなさんから預かった気持ち、石巻市に届けて来ました。
出発前に市役所に問い合わせたところ、衣類よりもオカズなど副食類がありがたいという事だったので、そういったものを中心に買いこみました。届け先は色々迷いましたが、直接避難所に持って行く事にしました。ちょうど前日まで被災地を回っていた小川大二郎さん&相棒のジミーさんから話を聞いて、多くの場所で飲み水に困っているという事もしりました。という訳で、水も持って行こうと大きなタンクを探しましたが、なかなか見つからなかったので、20リットルの水タンクを買えるだけ買って、我が家のおいしい水道水を詰めました。大二郎さんはフォトグラファーHi-seeくんの幼馴染で、関東支援連合、4.29運動というボランティア活動などを主催しています。今回の届け先(湊小学校)も紹介してくれた熱い人です。
Donate for change の今回のメンバーとして同行してくれたのは、Green Lab の中山二郎くんとフォトグラファーのガクちゃん。そして前回の支援物資配達の時に車を貸してくれたEvergreenのデイブが、ちょうど同じタイミングで現地に行こうと仲間を集めていたので、そのメンバーとも合流して、全部で車3台の9人チームでした。デイブ達は支援物資として満載の自転車を積んでいました。
月曜日の朝早く現地に到着して、避難所になっている湊小学校に行きました。最初に、その場所に一ヶ月半常駐して被災者とボランティア、そして自衛隊の間にはいって被災地をサポートしているチーム神戸のマスミさんという方と話して、持ってきた物資を下ろしました。避難所はそこに避難している人の生活の場であり、同時にダメージを受けた自宅で生活を続ける地域の方々への支援の拠点でもあります。そこには飲み水を配る自衛隊の姿があり、簡易的に作られたお風呂(希望の湯)があり、届けられた食料・衣類などの配給、昼&夜ご飯の炊き出しの場でもありました。
朝8時位になると朝ご飯用のパンなどを取りに、自宅で生活している方々が水タンクを片手に集まって来ました。タンクは足りていないようで、持って行った20リットルタンクは大きなタンクよりも喜ばれました。
僕らが最初に受け持った作業は体育館に集まった衣類や雑貨の仕分け整理でした。2時間程その作業をしていると、マスミさんが次の作業を見つけてくれて、お昼から木村さんの家の片付けをする事になりました。昼ご飯を食べて、作業が始まる時間にはちょっと強い雨が降っていました。そこで実はちょっとひるんでいたんですが、後から考えるとそれは恵みの雨とも言えるものでした。木村さんは地域で事業をしている方で、近くにビルを所有していて、「雨でテントはたいへんだからこのビルで寝て良いよ。」と言ってくれました。結局雨は1時間もすると止んだのですが、僕らは滞在中そのビルにお世話になりました。
片付けにいった家の中はメチャクチャになっていました。冷蔵庫から棚、ソファーも布団も、全てひっくりかえっていて、ガラスは割れ、床には泥が溜まっていました。ものは全てびしょびしょに濡れて、水を吸った畳の重さはハンパじゃありません。冷蔵庫を開けた時の匂いは書き表す事は出来ませんが、色んな意味でそれまで経験した事がない事だらけのハードな作業でした。
9人で4時間程。ほとんどの荷物(瓦礫)を出す事が出来たので、次の日の作業として頼まれた木村さんの弟さんの家を下見して、学校に戻り、その日の作業報告と次の日の打ち合わせをしてその日を終わりました。
まだ明るかったので、石巻市を一望出来る日和山公園という山の上の公園に行きました。公園の桜はほぼ満開でとてもきれいでした。でもそこから見た海側の景色は本当にヒドかった…。海からその山までの数百メートルの間は瓦礫の山と言うよりも瓦礫の海になっていて、建物は数軒しか残っていない景色に全員が言葉を失いました。


次の日は約束通り木村さんの弟さん宅と、ついでに頼まれた隣のアパートの片付けをしました。僕、二郎、ガクちゃんはアパートの方を担当したんですが、そこに流れ着いて腐敗した数十匹の(多分)サバには泣かされました。おそらく水産加工場などから流れ出た物だと思いますが(丸一匹の切り身、頭・内臓無し)、これから暑くなる事を思うとちょっとゾッとします。
がんばって午前中でそこでの作業を終わらし、午後からは遠藤さんという方の裏庭の瓦礫撤去に向かいました。瓦礫の量は軽くトラック数台分。それを裏庭から4、50m先の道路まで。道路に出せば行政が捨ててくれるという話ですが…。初老の遠藤さん夫妻2人でそれは到底無理な話です。僕ら若者9人組でもその量を見て一瞬止まりました。しかし、だからこそ頑張るしかない。滞在期間中に絶対やり遂げようとみんながんばりました。結局その日は全体の7割ぐらいを片付けて一旦終了。次の日に持ち越す事になりました。
朝起きてご飯を食べて、学校で一輪車を借りて遠藤さん宅へ。残った瓦礫を運んで泥を取り除くと、裏庭は見違えるほどキレイになりました。表の道路側の泥も土嚢袋に収めて、道路と敷地の境目に積み上げました。というのも、地域全体が地震で地盤が下がってしまったようで、満潮時には道路に10〜20cmの水が溜まってしまうからです。その時は家の中までは来てなかったけど、大潮の時はかなり上がってくるとのことでした。だからその家も片付けたのはいいけど、この先住み続ける事が出来る保証はありません。住民のみなさんも、それは重々承知だったけど、瓦礫だらけの家をほっておいて、ただ避難所にいてもなかなか前が見えない。遠藤さんも家が片付くにつれて、みるみる表情が変わって明らかに元気を取り戻していました。午後に遠藤さんの紹介で片付けを手伝ったお向かいの千葉さんも、元の姿に少し近付いた自分の家を見て、本当に嬉しそうでした。取り壊しになるかもしれない家を片付けてどうするの?なんて思う人もいるかもしれないけど、それが意味のない事だとは思わなかった。一刻も早く、全ての被災した方に明るい顔を取り戻してもらいたい。瓦礫の中にまだ発見されていないご遺体もある可能性も考えると、本当に出来るだけ早く被災地を助けないといけない。そう強く思った。生き残った人達はみんな本当にたくましく頑張ってるけど、本当に今も過酷な状況の中にいます。それを放っておいてはいけない。
Donate for change の今回の活動レポートはここまでだけど、これからもまだまだ復興支援活動は続きます。もし、自分も何かしたい、何かしようと考えている人は、是非行動に移して下さい。
ここまで読んでくれてありがとう。サポートしてくれている皆さん、ありがとうございます。これからもみんなで頑張りましょう。


 家で水を詰めてます。大町の水はうまいよ


 買い込んだ食料品など。奥にあるのは泥かき用にと貸して頂いたスノーシェーパー


車はまたEvergreen から借りました。手前は水タンク

 湊小学校

 校庭。向かって左側が自衛隊ゾーン、右に見えるのはお風呂/希望の湯

希望の湯。ボランティアのお礼にと一度入れさせてもらった。最高の風呂でした。

 湊小学校見取り図。

 体育館。仕分けして並べた衣類。

 炊き出しには、避難している人の他、地域の人が沢山集まります。

 跳び箱を使ったテーブル。名古屋在住のパキスタン人の方が炊き出しのボランティアとして奥にある大ナベを持って避難所に登場したそうです。すでに一ヶ月居るとのこと。

診療所もカフェも、自転車修理場もあります。


小学校の前の道。午前中は水が引かない。

 近づくとこんな感じ

さらに近づくと…

日和山公園から見た海側の景色

 公園にこんな石碑があって、ドキッとする。


Donatefor change
小松吾郎

2011年4月27日水曜日

石巻市

日曜日から石巻市に来ています。募金で買った支援物資、避難所にバッチリ届けさせて頂きました。ありがとうございます。
今日(水曜日)までボランティアで現地に居ます。やっぱり現地は、まだまだ人手が必要です。携帯充電出来ないので、詳しくは帰ってから書きますが、これからも、支援頑張ろう。と強く思いました。引き続き、ご協力下さい。
小松吾郎

2011年4月22日金曜日

First week, Thanks for the support!

みなさん。ありがとうございます。
"Donate for change" オフィシャルリリースから今日でちょうど一週間です。
現時点でなんと、229,000円になっています。
すごい。自分だけじゃ絶対この金額は出せません。
本当にありがとうございます。
週明けにボランティアとして現地に向かうので、このお金で救援物資を買って持って行きます。もともとは下着などを中心にと思って始めたんですが、状況はどんどん変わっていて、必要な物資も変わっています。行き先は明日決定するのですが、現地と連絡を取ってタイムリーに必要な物を聞いてもって行きます。近況もアップしていくのでまたチェックして下さい。


4月19日〜22日
ヨシダさん
ナカジマさん
チエちゃん
ナガサワさん
ハラダさん
ヤマザキさん
オオタさん
シャケ、クメさん
ヒビさん
エノモトさん
フジイさん
Alut Movement さん


ありがとうございます。
小松吾郎