スノーボーダーの小松吾郎です。

勝手ながら、このたび復興支援プロジェクト"Donate for change" を始めさせて頂く事になりました。

この災害を前に、私たち個人が1人で出来る事はほんのわずかですが、そのわずかが集まれば1つの力になると思います。そしてその(小さな)力もいま日本には必要だと感じます。少しでも元気を届けられればと思います。


"Donate for change" は、募金という形でお金を集めさせて頂き、被災地の方で必要とされる下着などを購入して届ける。というとてもシンプルなプロジェクトです。

配達は自分や仲間が被災地にボランティアに行くタイミングで行っていきます。届け先は、基本的に自分や友人スノーボーダー、スケーター、サーファー、アーティスト、ミュージシャンらの持つ横の繋がりがある場所を中心に数カ所を回る予定でいます。


自分は行政でも企業でもなにかの団体でもありません。「何か出来ないか。」と考え行動している1人の人間です。このブログなどを通して、出来る限り情報を開き透明性を持てるよう努めていきますが、ただ信頼して頂くしかない部分もあるかもしれません。

当たり前かもしれませんが、これは自分という人間を信用して頂けるという方、このプロジェクトに「賛同出来る。」と思って頂ける方に向けられています。

学びながらですが、必ず役に立てるようがんばります。

ご賛同頂ければご協力お願いします。


ありがとうございます。

Donate for change

小松吾郎

2011年5月1日日曜日

First trip report/石巻復興支援トリップ リポート

みなさんから預かった気持ち、石巻市に届けて来ました。
出発前に市役所に問い合わせたところ、衣類よりもオカズなど副食類がありがたいという事だったので、そういったものを中心に買いこみました。届け先は色々迷いましたが、直接避難所に持って行く事にしました。ちょうど前日まで被災地を回っていた小川大二郎さん&相棒のジミーさんから話を聞いて、多くの場所で飲み水に困っているという事もしりました。という訳で、水も持って行こうと大きなタンクを探しましたが、なかなか見つからなかったので、20リットルの水タンクを買えるだけ買って、我が家のおいしい水道水を詰めました。大二郎さんはフォトグラファーHi-seeくんの幼馴染で、関東支援連合、4.29運動というボランティア活動などを主催しています。今回の届け先(湊小学校)も紹介してくれた熱い人です。
Donate for change の今回のメンバーとして同行してくれたのは、Green Lab の中山二郎くんとフォトグラファーのガクちゃん。そして前回の支援物資配達の時に車を貸してくれたEvergreenのデイブが、ちょうど同じタイミングで現地に行こうと仲間を集めていたので、そのメンバーとも合流して、全部で車3台の9人チームでした。デイブ達は支援物資として満載の自転車を積んでいました。
月曜日の朝早く現地に到着して、避難所になっている湊小学校に行きました。最初に、その場所に一ヶ月半常駐して被災者とボランティア、そして自衛隊の間にはいって被災地をサポートしているチーム神戸のマスミさんという方と話して、持ってきた物資を下ろしました。避難所はそこに避難している人の生活の場であり、同時にダメージを受けた自宅で生活を続ける地域の方々への支援の拠点でもあります。そこには飲み水を配る自衛隊の姿があり、簡易的に作られたお風呂(希望の湯)があり、届けられた食料・衣類などの配給、昼&夜ご飯の炊き出しの場でもありました。
朝8時位になると朝ご飯用のパンなどを取りに、自宅で生活している方々が水タンクを片手に集まって来ました。タンクは足りていないようで、持って行った20リットルタンクは大きなタンクよりも喜ばれました。
僕らが最初に受け持った作業は体育館に集まった衣類や雑貨の仕分け整理でした。2時間程その作業をしていると、マスミさんが次の作業を見つけてくれて、お昼から木村さんの家の片付けをする事になりました。昼ご飯を食べて、作業が始まる時間にはちょっと強い雨が降っていました。そこで実はちょっとひるんでいたんですが、後から考えるとそれは恵みの雨とも言えるものでした。木村さんは地域で事業をしている方で、近くにビルを所有していて、「雨でテントはたいへんだからこのビルで寝て良いよ。」と言ってくれました。結局雨は1時間もすると止んだのですが、僕らは滞在中そのビルにお世話になりました。
片付けにいった家の中はメチャクチャになっていました。冷蔵庫から棚、ソファーも布団も、全てひっくりかえっていて、ガラスは割れ、床には泥が溜まっていました。ものは全てびしょびしょに濡れて、水を吸った畳の重さはハンパじゃありません。冷蔵庫を開けた時の匂いは書き表す事は出来ませんが、色んな意味でそれまで経験した事がない事だらけのハードな作業でした。
9人で4時間程。ほとんどの荷物(瓦礫)を出す事が出来たので、次の日の作業として頼まれた木村さんの弟さんの家を下見して、学校に戻り、その日の作業報告と次の日の打ち合わせをしてその日を終わりました。
まだ明るかったので、石巻市を一望出来る日和山公園という山の上の公園に行きました。公園の桜はほぼ満開でとてもきれいでした。でもそこから見た海側の景色は本当にヒドかった…。海からその山までの数百メートルの間は瓦礫の山と言うよりも瓦礫の海になっていて、建物は数軒しか残っていない景色に全員が言葉を失いました。


次の日は約束通り木村さんの弟さん宅と、ついでに頼まれた隣のアパートの片付けをしました。僕、二郎、ガクちゃんはアパートの方を担当したんですが、そこに流れ着いて腐敗した数十匹の(多分)サバには泣かされました。おそらく水産加工場などから流れ出た物だと思いますが(丸一匹の切り身、頭・内臓無し)、これから暑くなる事を思うとちょっとゾッとします。
がんばって午前中でそこでの作業を終わらし、午後からは遠藤さんという方の裏庭の瓦礫撤去に向かいました。瓦礫の量は軽くトラック数台分。それを裏庭から4、50m先の道路まで。道路に出せば行政が捨ててくれるという話ですが…。初老の遠藤さん夫妻2人でそれは到底無理な話です。僕ら若者9人組でもその量を見て一瞬止まりました。しかし、だからこそ頑張るしかない。滞在期間中に絶対やり遂げようとみんながんばりました。結局その日は全体の7割ぐらいを片付けて一旦終了。次の日に持ち越す事になりました。
朝起きてご飯を食べて、学校で一輪車を借りて遠藤さん宅へ。残った瓦礫を運んで泥を取り除くと、裏庭は見違えるほどキレイになりました。表の道路側の泥も土嚢袋に収めて、道路と敷地の境目に積み上げました。というのも、地域全体が地震で地盤が下がってしまったようで、満潮時には道路に10〜20cmの水が溜まってしまうからです。その時は家の中までは来てなかったけど、大潮の時はかなり上がってくるとのことでした。だからその家も片付けたのはいいけど、この先住み続ける事が出来る保証はありません。住民のみなさんも、それは重々承知だったけど、瓦礫だらけの家をほっておいて、ただ避難所にいてもなかなか前が見えない。遠藤さんも家が片付くにつれて、みるみる表情が変わって明らかに元気を取り戻していました。午後に遠藤さんの紹介で片付けを手伝ったお向かいの千葉さんも、元の姿に少し近付いた自分の家を見て、本当に嬉しそうでした。取り壊しになるかもしれない家を片付けてどうするの?なんて思う人もいるかもしれないけど、それが意味のない事だとは思わなかった。一刻も早く、全ての被災した方に明るい顔を取り戻してもらいたい。瓦礫の中にまだ発見されていないご遺体もある可能性も考えると、本当に出来るだけ早く被災地を助けないといけない。そう強く思った。生き残った人達はみんな本当にたくましく頑張ってるけど、本当に今も過酷な状況の中にいます。それを放っておいてはいけない。
Donate for change の今回の活動レポートはここまでだけど、これからもまだまだ復興支援活動は続きます。もし、自分も何かしたい、何かしようと考えている人は、是非行動に移して下さい。
ここまで読んでくれてありがとう。サポートしてくれている皆さん、ありがとうございます。これからもみんなで頑張りましょう。


 家で水を詰めてます。大町の水はうまいよ


 買い込んだ食料品など。奥にあるのは泥かき用にと貸して頂いたスノーシェーパー


車はまたEvergreen から借りました。手前は水タンク

 湊小学校

 校庭。向かって左側が自衛隊ゾーン、右に見えるのはお風呂/希望の湯

希望の湯。ボランティアのお礼にと一度入れさせてもらった。最高の風呂でした。

 湊小学校見取り図。

 体育館。仕分けして並べた衣類。

 炊き出しには、避難している人の他、地域の人が沢山集まります。

 跳び箱を使ったテーブル。名古屋在住のパキスタン人の方が炊き出しのボランティアとして奥にある大ナベを持って避難所に登場したそうです。すでに一ヶ月居るとのこと。

診療所もカフェも、自転車修理場もあります。


小学校の前の道。午前中は水が引かない。

 近づくとこんな感じ

さらに近づくと…

日和山公園から見た海側の景色

 公園にこんな石碑があって、ドキッとする。


Donatefor change
小松吾郎

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